これから、ちゃんとやれるようになるのか

人生において、動転しなきゃいけないことでは、わりと冷静なのに、まったく自分に関わりのないことで、明後日の方向を向いて慌てまくることが多い。 どこにトリガーがあるか、今をもってしても、自分でもわからない。 ただ、今回の件は、自分の不甲斐なさで、20年ごしの時限爆弾が爆発したわけで、人生で何度も何度も思い出すのだろう。 が、感じたことを、そのつど、わざわざ公開してるブログに書きなぐって、何度も何度も読み返せたことは、大きかった。 もし、何もできずに布団にくるまっていたら、立ち直れたのだろうか。

こういう結果になるのは、わかっていたことだし、それも、しばらく忘れていたことでもあったわけで、忘れていただけに、当時の記憶が鮮明に蘇ってしまったのだけど、その時から、自分ではどうすることもできなかった自覚はあったし、そもそも、彼女は俺のことを多分に誤解してるので、根本的に無理筋で、何も変わっていないといえば変わっていない。 ささいなメールが、俺が、この7年間、何もやってこなかった事実を、一度に目の当たりにさせたことに、動揺したのだと思う。

実家で、机の上にあった、親父さんが読んでる本を手に取ってみたら、名言集みたいな文庫本が。 その中の一説を、わざわざ、自分で紙のきれはしに、書いていた。 「生きるというのは、呼吸をすることではない。行動することだ。」  親父さんにとっても、今の俺にとっても、大切な言葉。

これからの課題。 今からちゃんとやろうとして、ちゃんとやれるようになるのか。 一般的に無理と言われてることが、実現するのか。 正直、正攻法では統計通りの結果になって、本当に厳しいだろうけど、俺の得意な分野、俺の得意なやり方なら、一般的な統計や傾向から外れているかもしれない。 そこに、一縷の望みを託す。 その為には、外に出ねば。 面倒くさい、という感情は、あらゆる方向で封印。 10年後に後悔しない状況にしたい。




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