吉野家の「鰻三枚盛」という存在

予期せぬお金が入り、懐があたたかいとき、吉野家で「鰻三枚盛 1650円」を食べてみたい気もするのだけど、おそらく俺は一生できないと思うし、それで、良いのだと思う。

一度、ストッパーが外れてしまったら、一瞬にして坂道を転げ落ち、何が善で、何が悪かも、わからなくなってしまうだろう。 それが怖い。

吉野家の「鰻三枚盛」という存在だけで、生き方やら、人としてのモラルやら、いろいろと考えが止まらなくなる。

夜のお店の「フルーツ盛り」のような存在か。 注文しても、食べるのは野暮、みたいな。 江戸っ子は、そばをツユに浸さない、みたいな。 まぁ、俺は、フルーツ盛りを食べるし、そばは、ツユにどっぷりつけるのではあるが。

でも、深夜にこっそり食べてみたい気もする。 「深夜にこっそり」というのが重要。 「吉野家で、鰻三枚盛を食べる」というのは、そういう、アンダーグラウンドかつ、インモラルな行為なのであって、淫靡な大人だけの世界がどんどん減っている昨今、不健全な場を愛する大人に残された、数少ない牙城なのだと思う。




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