偶然か、似たような記事が。
【映画館の席どこが正解?】SNSで話題の“一番人気”の席は? 時間帯までも劇場選びの基準に「平日の夜が最高の民度」
https://news.yahoo.co.jp/articles/b8d29185abc3a89d4b81a2bfb938ec29c17dc4e9
この状況でも、投票に行かない奴とは、話す価値が無い。 わかりやすい試金石となってくれるのは、ありがたい。 自分でぶつかって行って、ケガをしたと被害者づらで大騒ぎするような連中に、好き放題になっているのが現状で、昔から、もともと、アレな連中は、一定数いるが、投票率が高ければ、良識ある大多数のおかげで、そういう連中は、相応の対処をされるものの、現状のように、投票に行かない(誰かがやってくれるだろう)という連中が多いと、少ない組織票でも、選挙で選ばれてしまう。
「投票したって、何も変わらない」なんて、50過ぎたおっさんで、したり顔で言ってるのがいるからなぁ。 投票に行く側だって、自分の一票だけで、世の中変わるなんて、当然、思っちゃいないわけで、ただ、選挙で通ることで、アレな連中に大義名分が生じ、アレなNPOからの申請も、一人でも相談に乗ってアピールすれば=実績がある、と、税金から、少なくない予算が付く。 そういう連中に好き放題させない(10票の組織票)に対抗するには、11票の票が必要なわけで、それを阻止するという点において、どんな一票も無駄にならない。 「投票しても、何も変わらない」なんて言ってるのを見ると、タバコのポイ捨てが問題になっているときに、「自分はちゃんとやってますよ」とほざく連中と、同じくらい「こいつバカだなぁ…」と、思う。 そして、思われてることに、本人だけは、気づかない。
あれだけ、当事者が指摘していたのに、あえてスルーしておいて、後から、”なぜ?” “誤算”。 最初から、そのつもりでやってもいるんだろうけど。
前編 『AV新法施行3年「時間と労力は、以前の4~5倍に」…疲弊する“現場の声”に透ける「問題点」と「改正」の必要性』
荻原魚雷 氏のブログ「文壇高円寺」にて、小泉八雲の「読書論」にまつわる話が。 そんなのがあるのか、と検索してみたところ、独立の書籍は無さそうだが(あるいは、全集に収録?)、ネットにて、全文読める模様。
学者がまず念頭に置くべきことは、本は単なる娯楽として読んではならないということだ。中途半端な学歴の者は、娯楽のために読書をするが、そのことを非難される筋合いはない。しかし、大学の教育課程を経た青年は、早いうちに、単なる娯楽のための読書は決してしないように自らを律するべきである。そして、ひとたびその習慣が形成されると、単なる娯楽のための読書は不可能であるとさえ思うようになる。そして、知的な糧を得られない本、高次の感情や知性に訴えかけてこない本は、せっかちに投げ出すことになる。しかし一方で、娯楽のための読書という習慣は、何千人もの人々にとって、ワインを飲んだりアヘンを吸ったりするのとまったく同じ種類の習慣となる。それは麻薬のようなもので、時間をつぶすのに役立つもの、永遠に夢を見続けるもの、最終的にはすべての思考能力を破壊し、心の表層部分だけに運動を与え、感情の深い源泉とより高い知覚の能力は失業したままになるものなのである。
(小泉八雲 「文学に関連した読書について」 から、抜粋)
学者ではないし、中途半端の代表格、みたいな学歴ではあるが、読書に対する覚悟、という点は、少しでも意識しておかないと、ただただ、時間を埋めるだけになってしまう。 この2年間、時間があけば、酒を飲んでいたが、アルコールに関しても、同じことが言えるはず。
名著の選択は、いかなる状況においても、個人的なものでなければならない。要するに、自分の中にある光に従って、自分自身で選ばなければならない。