志賀直哉、本棚にずっとあった岩波文庫で読んでいるのだけど(おそらく20代の頃に買って、ほったらかし)、面白くて、ビックリ。 著書を読んだことがなく、氏に対する知識は、受験勉強で覚えた程度。 坂口安吾の著作にも何度か名前が出て、文章の美しさや、文法にうるさい、気難しい白髪の爺さんというイメージしかなかったので、岩波文庫は、短編集というのもあるけど、「赤西蠣太」をはじめ、一気読みしちゃったよ…。ただ、「小僧の神様」は入っていたけど、「暗夜行路」や「和解」は、収録されておらず(うちにあるのは、版が古くて、文字が小さいやつなので、変更があるかもしれないが)。 腰を据えて、ちゃんと読まねばなるまい。
「小僧の神様」も、”学生さん、とんかつを喰えるくらいが、ちょうどいい偉さ…” と言う話と混同してて、しかも、江戸時代くらいの話かと思ってたら、登場人物の名前がAとかBとかなので、変だなぁと思ってたら、どうも大正時代の話のようで、いろいろと誤解をしていた模様。 そして、この短編も、終わり方が独特なのだけど、あれが最適解だと思う。
で、Wikipediaを見たら、太宰治の「小僧の神様」評が。
太宰治は、随想『如是我聞』において、本作について以下のとおり述べている。
“この者は人間の弱さを軽蔑している。自分に金のあるのを誇っている。「小僧の神様」という短篇があるようだが、その貧しき者への残酷さに自身気がついているだろうかどうか。ひとにものを食わせるというのは、電車でひとに席を譲る以上に、苦痛なものである。何が神様だ。その神経は、まるで新興成金そっくりではないか。”
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%83%A7%E3%81%AE%E7%A5%9E%E6%A7%98
深読みしすぎだと思うが、さては、仲が良くないな。だったら、太宰の「如是我聞」も、読まないとなぁ。
ちなみに、志賀直哉にも「太宰治の死」という著作がある模様。太宰には、まったく思い入れは無いのだけれど、坂口安吾「不良少年とキリスト」と、どう違った見方をしてるのか、興味津々…。
面白い本を見つけると、残り時間が刻々減っていると思うと一気に読みたいけど、雑に読むのがもったいないので1日1篇にしたい、の、せめぎ合いが、歳をとるごとに強くなる。 ただ、濫読で沢山の本を読むのは、1冊の本を見つける為であって、その1冊の本は、残りの人生で何度も繰り返し読むだろう、と思うと、やはり、量をこなすべきか。